FAQ

日本超心理学会とは

■超心理学研究会の5ヵ年の歴史を省みて
■日本超心理学会の設立
■超心理学会1969年
■小熊先生と日本の超心理学
■日本超心理学会東京月例研究会第200回記念会

日本超心理学会の目的

1963年に設立された「超心理学研究会」を前身に誕生した「日本超心理学会(The Japanese Society for Parapsychology)」。

このページでは超心理現象という、常識では説明不可能な事象に科学的な見地に立ってアプローチを続ける日本超心理学会の歴史を、貴重な資料と共にご紹介します。

パラサイコロジー・ニュース Vol.3 No.1 ,1968掲載
『超心理学研究会の5ヵ年の歴史を省みて』 大谷宗司

 

 研究会が誕生してより5ヵ年を経過しましたが、この間、会員全員の絶えざる努力と、周囲から与えられた暖かい支持によって、着実に健全な発展の道を進むことが出来ました。この5ヵ年の大きな成果は、科学としての超心理学に対し、我々が研究者としてその態度を明確にすることが出来たということであります。

 これまでの経験によりますと、超心理学的な現象を扱う時、ともすれば、好奇心ととらわれる余り、先走った理論や空論、希望的意見の交換に終始してしまう危険が常に伴っております。しかし、我々の場合は、現在利用できる知識と技術をもって実証可能な仮説は何であろうかという問い方で超心理学にapproachしようという態度を作り上げ、更にそれらの検証の為手足を動かそうとする努力を始めつつあります。これは、超心理学研究を進める健全な道であり、今後は、この健全な行き方の上に充実した内容を盛り込むように努力したいと考えます。
省みますと、この領域に我々が着目いたしましたのは、今から18年前に遡ります。そして、私がGSRとESPとの関係につきまして報告いたしましたのは13年前、1955年でありました。それ以来、我々の辿った道を考えますと、紆余曲折、大変な廻り道をして来たように感ぜられます。しかし、これも、私達の置かれた時代的位置によるものであると思います。私達のgenerationは、この領域の先駆的働きをされた小熊先生などの諸先輩と、最近新たにこの領域に飛込み、将来の研究を荷う若い方々との中間にあるわけでありまして、私達がこの領域に関心を持ち始めたのは戦後間もない時であり、当時は、大学の中でこのような研究をするなどは思いもよらぬことでありました。当然指導はおろか、支持してくれる先生も見当たらない状態でありました。

 当時、超心理現象に関心を持った人たちの集まりは、通俗的で、或る一つの思想的偏りをもった或いは宗教的雰囲気を持ったグループがあるだけでありまして、私達は、最初、これらの中に、何か超心理的な真実が存在するのではないか、また、そこで行われている考え方の中に、何か我々に示唆するものはないかと懸命に模索したものでありました。しかし、そこにおける長い努力にも拘わらずこの領域の研究の困難性を体得するということ意外に積極的な意味での得るところはありませんでした。すなわち、我々に対し、学問の領域における諸先輩の示された方向の正しいこと、また、西欧の研究が現在のような形に到達したことの必然性が示されたわけであります。しかし、この廻り道は、西欧の研究者の経た適切な方向付けまでの長い時間に比べれば効率のよいものであったと言うことができるかも知れません。
模索の段階にあった我々に対し決定的な転機を斉したものは、次のような経験でありました。1963年の正月、Dr.Prattが来日致しました。その時、私は、我国における超心理学や心霊研究に関心を持つ知識人を一同に集め、研究の為の協力と、正しい科学研究への方向付けをしようと試みたのであります。それには、民間の幾つかの研究グループから人々が集まって盛会ではありました。しかし、結果は私の意図したこと遠くへだたっていたと言わざるを得ませんでした。その会の記録を見られた或先生は、Dr.Prattの科学的態度に比べて、日本人の発言が余りにも低俗であることが対称的であった、と述べられましたが、実にその通りで、多くの人は、超心理学のとる科学的態度は極めて偏狭な立場であり、"心霊研究"は究極的には、科学的態度で貫くことは困難であるという意見に固執しているようでありました。
 この有様を見て、恩田さん金沢さん私など極めて少数の者ではありましたが、それまでこの領域に関心を持ってきた人々の非科学的態度を改めることの不可能なことに気付き、真に科学的な研究団体の必要性を痛感し、その年の3月、"超心理学研究会"を作ったのであります。即ち、研究者の数は少なくとも、又、その歩みは遅くとも、確実な知識を蓄積する努力をすることが研究の第一歩であり、そのためには真に科学的態度に徹した研究者が協力することが必要であることを認識したわけであります。
 そしてこの超心理研究会は、最初の事業として、日本に於ける心理学者の超心理学に対する意見の調査を致しました。その結果は、1964年の日本心理学会の大会に於て報告されましたが、日本心理学会の会員の半数に質問紙を送り、23%の回答を得たのであります。そして、そのうち、超心理学研究に理解を示したのは46%でありました。この結果は、もし、超心理学に肯定的態度を持つ者がすべて回答したものとすると、全心理学者の約10%が超心理学に、理解を示しているということになります。この状態は、1938年にアメリカで行いました調査結果と大体同じでありまして、このことから考えると日本の超心理学に関する心理学者の理解は25年遅れているということになります。勿論研究状態はそれ以上に遅れがあるといわなければなりません。
 その後、私が渡米しましたので、研究会の活動は、私の帰国後、1964年の暮から再開されることになりました。そこで現在、我々がやっております研究会の月例会が誕生したのであります。そして今回は35回を数えることになりました。研究会は、また、「パラサイコロジー・ニュース」を刊行し、研究者の意見の交換、超心理学会の動きを広く知らせることをはじめました。はじめは、不定期な刊行でしたが、その後は、月例会の記録を主な内容として、隔月の発行をするようになり現在に至っております。
 その他、研究会の行いました大きな事業の一つは、「アルゼンチン・日本ESP遠距離実験」であります。アルゼンチンとの実験は、1965年9月から11月に亙って行われたものですが、これは、アルゼンチンのInstituto Argentino de ParapsicologiaとUniversidad Nacional del Litoralからの要請により参加したもので、我国の参加者は、心理学者11人を含み93名でありました。
更に研究会の進歩を示しましたのは、昨年開きました第1回研究発表会であります。これには予想を超える50名余の参加者を得ることが出来、多くの好意的発言を得ることができました。このことは、我国における超心理学を囲む環境が大きく変わって来たことを示すもので我々は大いに力づけられました。
また、会員の対外的活動と致しまして日本心理学会、日本応用心理学会、催眠医学・心理学会の夫々の大会に於て、超心理学に関する研究発表を行い、我々の研究を広く紹介いたしました。そして之等の学会から、抵抗なく、好意的態度で受け入れられたのであります。

 我々の活動は、国内ばかりでなく、海外でも知られる様になり、Bulletin of the
Foundation for Research on the Nature of Man, No.6には昨年の発表会の模様について、また、Newsletter of the Parpsychology Foundation, Inc. Vol.13, No.3には研究会の活動について紹介されております。
 この様に我々の研究会は、着実な歩みを進めていると言うことが出来ますが、本年は、更に飛躍の年にしたいと、年頭に当り思うものであります。第1は研究会の活動を組織化すること。第2は、具体的研究の強力な推進であります。これまで、我々は、活発に活動して参りましたが、それは、内外の状況の変化に応じ、機に応じたものであり、研究発表会も、我々の中の力の充実感に基づくもので、必ずしも長期的計画の中で実現したものではありませんでした。しかし、一つのまとまった団体として綜合的に且有効に活動する為には、組織化が必要であり、対外的にも形を整えるということの必要を感ずるようになりました。また第2の目標は、研究会本来の目標でありますが、これも、我々の態度が好ましい方向に整えられた現在、研究をより効率よく進めるために、この際一段の工夫が必要であると考えます。
 そこで、次の事項を本年の事業の予定としたいと思います。

  1. 会則の制定
  2. 研究年報の発行
  3. 第2回研究発表会の開催
  4. 関連学会への発表
  5. 情報収集の組織化
  6. 会員の獲得

 この内注意いたしたいのは第6の会員の獲得であります。勿論研究者は多いことが望ましいわけでありますが、多くの人の参加者の為に我々の立場が明確性を欠くようになることは警戒しなければならぬと思います。これまでの私達の経験によりますと、たとえ専門の領域では有能な研究者で業績のある人も、超心理学の研究には必ずしもその学問的態度が貫かれないという場合があるからであります。まことに不思議なことですが、資格ある科学者、技術者でも、こと超心理学的事実に対しては科学的といえない態度を示す方があるのであります。勿論、何らかの別の目的の為に超心理学を利用しようと意図をもつ者、或は思想的・宗教的偏りのあると思われ者は超心理学の研究に適している人であると言えません。

 また長期の計画として研究発表の為の専門雑誌の発行、超心理学講座の発行、日本超心理学会の設立、国際超心理学会(Parapsychological Association)の大会を我国で開催することなどを考えたいと思います。
我々の目的は、超心理学会の科学的研究を促進することにより、科学の発展に貢献することであり、その為に日本の力を結集しようとしているわけです。その為にも、高度の研究水準を保持し、一日も早く、日本の学会の中で地位を確立したいと考えます。今後は国内の大学、研究機関との交流を図り、更に海外の正当な研究諸期間との協力を積極化することも努力したいと思います。(1968.1月例会での挨拶)

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『日本超心理学会の設立』

 

 1968年11月17日に開催された日本超心理学研究会第2回研究発表会における総会において、「日本超心理学研究会」を発展的に解消して「学会」を設立することが満場一致で決議され、当日より「日本超心理学会」が発足致しました。
  本学会は、本邦唯一の高度の学問的水準を保つ超心理学の学術団体として重要な使命を担うことになりました。今後共、会員諸学兄姉の御協力と、隣接する専門諸学会の皆様の御力添えをお願いする次第であります。
  1968年11月
   日本超心理学会
    会長 小熊 虎之助

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パラサイコロジー・ニュース Vol.3 ,No.4 ,1969掲載
『超心理学会1969年』 大谷宗司

 

 新年に当たって、新年に当たって、今年の我々の活動の方向について考えてみたいと思います。「日本超心理学研究会」は1963年に設立され、昨1968年、第2回発表会を機会に「学会」へと発展して、科学的水準の高い、研究団体としての本来の立場を貫きながら順調に発展をしてくることができました。これは一重に、会長の御指導の下に会員一同が力を合わせて努力した結果であると思います、これからも堅実な進歩を続けたいと思います。
  昨年1967年の1月の例会において、私は昨年度の事業目標として、
 
1.会則の制定
  2.年報の発行
3.第2回研究発表会の開催
4.関連学会への発表
5.情報収集の組織化
6.会員の獲得

をあげました。この内、第1、第2、第3につきましては目標を達成致しました。関連学会への発表は一昨年に比べ少なくなり、情報収集の組織化はまだ十分に態勢を整えるに至っておりません。会員の獲得については、それを急がないという方針から、内部的な水準の向上に努力が払われたということが出来ます。
  また将来計画として

 1.日本超心理学会の設立
  2.Japanese Journal of Parapsychology の発行
  3.Parapsychological Association への加入
  4.超心理学講座の発行
  5.国際超心理学会の開催

の5項目をかかげました。この内、第1の学会の設立は、既に昨年において実現し、会則の制定とともに機構の整備が進みました。他の4項目の内、P.A.への加入は、既に資格のある方があると存じますので本年は実現したいと考えます。他の3項目は、今後3年乃至5年の内に実現するよう、努力を続けたいと考え皆様の御協力をお願いいたします。
  本日はこれらの目標を達成するために主に研究の方針につきまして、私が日頃考えておりますことをお話したいと存じます。超心理学は、Dr.Rhineが研究を開始した1927年より既に40年、ESPの事実が一応承認を受けた1938年より30年を経過致しました。そして、その研究は米国を中心として行われた時代から東西、南北、全世界的に行われる時代へと発展して参りました。このことは、超心理学が科学の一員として認められて来たということを示すとともに、超心理学の研究が持っている潜在的な意義が、認識され始めたということを意味するものであると思います。超心理学が将来どのような応用可能性を持つか確実に予測することは出来ませんが、もし、テレパシーが我々のコントロールの下におかれるような事態になった場合を想定いたしましても思い半ばに過ぐるものがあると思います。我々はこの点につきまして、宇宙開発に見られるような米ソのような特定国の独走を許すことは断じて出来ないと思っております。この点につきましても、我々は更に努力を加速するべきであると思います。
  超心理学を研究する我々の主な動機は二つあると思います。その一つは、超心理学的事実が持っていると思われる我々の世界観、宇宙観に対する重大な影響、即ち、超心理学の研究が我々の自然科学的宇宙像を完成する際に重要な役割を持っているということの認識と、他はpsi能力のcontrol法を発見したいという希望であります。前者は理論的問題であり、後者は技術的問題であります。
  この二つは、我々をこの困難な超心理学の研究にとどめる強力な役割をしておるわけでありますが、研究の現状は、この目標に対して極めて大きなへだたりをもっております。私はこの超心理学の現状を省みて、先ず超心理学における実験的研究の重要性を強調したいと思います。実際Rhine以降の実験重視の傾向は、その方法は充分に近代的とは言えないにも拘わらず重要で確実な事実を我々に与えてくれました。このことは以前の研究が華々しい現象にかかわって而も得られた事実が貧弱であったのと対照的でありまして、Rhineの功績は特質すべきであります。そして、超心理学はまだまだ、事実の発見に努力を集中すべきことが痛感されます。即ち、我々手足を動かすべきこと、これを我々のこれからのモットーにしたいと思います。如何に斬新なideaと言えども事実の裏づけがなければ勝ちあるものとは言い得ません。それが如何に論理的に素晴らしそうなものであっても事実とのつながりがないものは単なる意見にすぎません。単なる随筆といわれても致し方ありません。実は私が米国滞在中に強く感じたことの一つはこの問題であります。
  次に実験的方法を重視する立場に立って現時点で何が問題になるでありましょうか。先に述べましたようにDr.Rhineの開発した方法は現在に至るまで用いられており、その方法の有効なことが示され、多くの事実を明らかにすることに成功して参りました。しかし、40年の歳月を経た今日、また科学技術において大きく進歩しております現代において超心理学も方法的に変革の時期に来ているということができましょう。このことについて、私は、新しいアプローチの方法の開拓と研究対象、領域の拡大の必要を感じております。
  研究方法に関しまして考えられることは、生理学研究の進歩であります。ESPの研究はRhine以来心理的研究法が主に用いられて来ました。向性、不安傾向など性格の諸特性、態度、興味などの心理状態との関係は数多く実験され、ESPの性質についての知識を我々に提供してくれました。しかし生理的測定は1924年のBrugmansがGSRを用いるなど超心理学の歴史には古くより登場しますが、その後見るべきものがなく1950年代よりようやく再び見られるようになり、最近ではGSR、EEG、Plethysmograph等が積極的に用いられる気運が出て参りました。生理的指標は、生体の短時間における変化をとらえるに便利でありまして、今後ESPの研究もこれにより、更にキメの細かいものになることができると考えます。
  また生理的測定の使用は、更に異常な意識状態での研究という方向にも力を発揮します。従来psiの研究では余り行われませんでしたが、今後は意識状態とESPとの関係を明らかにさせる必要があります。現に、Ullmanの催眠時の研究においては、EGG、REMなどが活躍しております。これまでの研究は、正常人が平常な状態にあるときについて行われることが多かったわけですが、今後は生理学的方法を用いた動的状態における研究が、我々に有益な知見を与えてくれることになると思います。
  もうひとつ実験の方法に関しまして、研究のspeed upを図る必要を感じております。これまでの方法ですと半年あるいは一年かかってようやく一つのステップが終わるという状態でありました。これはcard guessing法が大変に時間のかかる方法であることによります。今後は電子計算機を用い、実験におけるtargetとなるrandom seriesの作成、targetの呈示、subjectのcallとの対応づけ、更にdisplacement ,chronological
changeなどの分析を自動的に行うことが望ましいと考えます。出来ればこれらを行うため、ESP研究専用の電子計算機を作りたいと思います。このようにして実験がspeed upすることにより、超心理学全体の進歩を早めることが可能になると思います。
  次に研究領域の拡大について考えてみますと、従来は超心理学の研究は、ESPの研究に重点が置かれたように思います。これは、ESP、PKをpsiと呼ぶようにこれらの間に働く機構は同じであるという予想があったわけですが、ESPもclairvoyanceとtelepathyを区別して考えること、更に、今迄余り行われなかったPK実験をも力を入れて研究することが必要かと思います。PKの効果は、物質体に対する効果のみならず生物に対しても効果を持つと考えられ、植物の生長のcontrol、微生物の運動、繁殖のcontrolなどPK検出の方法は数多くあると思います。そして、この方法によりpsi効果の数量化が可能となり、人間を対象としたときと異なり、生物における物理的諸過程との関係を見ることが可能となり、物質とpsiとの関係の解明に道を開くことができると考えるからであります。この点に関しましては生物学者、工学者、物理学者などの協力が切に望まれます。
  先に実験の重視ということを申しましたが、理論的方面におきましても絶えず広く心を開き他領域の研究の発展を見守りつつ、我々に役立つものを見出す努力をすべきであると思います。従来超心理学は、我々の物理的枠組たる、時間、空間の問題に基本的な問題を投げかけるものとして大変に魅力的な領域であると考えられて参りました。しかし、この問題は、更に超心理学会における新たな事実の発見を待つべきものと私は思います。その前に、超心理学は物理的世界との生物体との間に行われる直接的情報の交換という意味において、超心理学における情報理論の役割について検討することを提案いたしたいと思います。私はnoiseの非常に多いcommunicationの一つの場合としてESPの事態を情報理論の基礎に整理することは興味あることと考えております。
  最後に付け加えたいと思いますことは、我々の研究の国際化のことであります。研究会はこれまでにもアルゼンチンとの共同研究などしてまいりましたが、今後来るべき日本での国際学会の開催を目ざして、我々の研究の海外への紹介、又海外事情の吸収を積極的に行いたいと思います。昨年12月に藤原さんが、ソ連の事情を調査して参られましたが、これは我々にとって非常に有難いことであります。超心理学の研究は既に世界的規模において行われておりますと共に、その速さは日を加える共に目立ってまいりました。このような状況のもとにおいては、我々の研究水準の向上と貢献の度合を増すために、国際的交流を盛んにする必要があります。本年はDr.Rhineの招待の予定がありますが、これを機会に我々の活動を国際的なものに拡げることに具体的な努力をしたいと考えます。
  以上簡単に私が日頃考えておりますことをお話申し上げましたが、これは今までの我々の歩みをその方向を失わずに強力に進めるということに外ならず、今後とも会員の皆様の御協力をお願い致す次第でございます

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『小熊先生と日本の超心理学』 大谷宗司

 

 我国超心理学の先達として、私たちが尊敬し、お慕いし、御指導を仰いで来た小熊虎之助先生は昭和53年9月25日永眠されました。先生は、大正初期、超心理学がまったく学問としての体裁を整えず、伝統的学問の世界からまったく問題とされなかったとき、いち早くこの領域に対する科学的探究の必要を説かれ、欧米における研究の紹介と啓蒙をされて参りました。
  戦後に至り、欧米の新しい超心理学の動きと呼応した私たちの研究への希望を暖かく迎えられ、豊富な知識とご経験とをもって指導をしてくださいました。そして、先生の厳密な科学的態度は、私たちの進路を誤りないものにし、また先生の我国学術の世界での高い信頼は、私たちの努力を広く正しく評価していただく上でこの上なく大きな力でありました。
  日本超心理学会ははじめ1963年研究会として出発し、その後研究の発展と組織の整備に努め、1968年学会として形を整え今日に至っております。小熊先生はこの間終始私達を親切に指導激励され、学会の発足するや初代会長として長い間その発展に尽くしてくださいました。
  現代超心理学の基礎を築いた米国のライン博士(J.B.Rhine)は、自分は幸運であった。マクドウガル博士(McDougall,心理学者)というよい支援者を得たからである、と云っております。私達も、全く同様幸運であったと思います。我国に超心理学を樹立するというきわめて困難に満ちた時期に、小熊先生という偉大な先生を得たということに私達は心から感謝しております。
  小熊先生は明治21年(1888)3月30日新潟県柏崎市に生れ、長じて明治44年東京帝国大学哲学科へ入学、心理学を専攻されました。大正3年卒業、暫時、郷里の柏崎市で柏崎日報の主筆として活躍し、後、宮城県に赴かれ、県立仙台第2中学校教諭、盛岡高等農林学校教授を歴任、大正11年東京に帰られ、明治大学の教授の任につかれました。爾来35年間同大学で心理学を講ぜられ、昭和32年定年退職されました。その間日本女子大学嘱託教授、陸軍憲兵学校嘱託教授もされました。
  先生は心理学の幅広い領域に関心を持たれ、催眠・心霊研究を含んだ異常心理学、臨床心理学、犯罪心理学などで論文・著書・論説等を数多く発表され、また広く啓蒙活動をもされたのであります。ここでは、少しく先生の超心理学に関係した御功績について我国超心理学の発展のあとを顧みつつご紹介したいと思います。
  明治の終わりから大正・昭和の初期にかけては、我国において超常的な現象に対する関心が高まった時代であります。東大教授、心理学者福来友吉博士が透視と念写の実験を始めたのが明治43年(1910)であり。その後博士が実験を一時中断している間、明治45年2月英文学者、平田元吉氏は「心霊の秘密」を著して、欧米特にS.P.Rの研究を紹介し、心霊研究の必要を力説し、福来博士の研究を援護しました。同年12月京都大学の野上俊夫教授(心理学)が「叙述と迷信」を著し、その中で福来博士の研究を批判しました。福来博士は翌大正2年(1913)春、第3の被験者高橋貞子の念写実験を終え同年8月に報告書「透視と念写」を発表しました。その前には物理学者藤・藤原両氏によって山川健次郎博士(1854-1931)が主催した念写実験の顛末について報告し、福来博士の念写実験を批判した書「千里眼実験録」が明治44年(1911)に発表されております。実にあわただしい論争の交換が行われたわけです。
  これらの人々は何れも、夫々の専門分野で活躍していた学者であり、当時新聞報道による一般の人々の関心の高さもさることながら、我々が1970年代の初めに経験したUri
Gellerなどによる騒ぎの場合、真の研究者を巻き込むことが少なかったのに比べ、当時は学術の世界でまじめに心霊問題が論議されたということは、我国の超心理学の歴史のなかで特筆すべき事件であったわけであります。
  小熊先生は丁度その頃(1911-1914)東京帝国大学で心理学の勉学にいそしまれたわけであります。先生が「日本超心理学年報」第1号にお書きになった<私の道>によれば、大学第2年で当時助教授であった福来先生から変態心理学を学ばれております。しかし、その講義の中には超心理学は含まれていなかったということです。そして先生は、卒業後、異常心理学、臨床心理学の方に次第に興味を向けられるようになったのであります。
  大学を卒業された先生は矢継ぎ早に論文の発表及び著作を世に問われました。1916年論文<夢の予言>、1917年<自動現象の話>を発表され、1918年には「心霊現象の問題」と題する著書を出版されました。この本は後に(1924)改訂され「心霊現象の科学」と名前を改め出版されましたが、これは当時の欧米の心霊現象研究を体系的に整理、紹介したものであり、その中でこの種の現象に対する科学的扱い方について明確な指針を与えられ、先生のこの領域での立場を確固としたものといえます。そしてこの書はその後の我国超心理学の方向を決定したものとして大きな意義を持っております。
  小熊先生の超心理学に対する態度は一口で言えば極めて明快、超常的現象を自然現象として科学的態度をそのままに適用するという考え方です。これは超常的現象、怪奇現象に対し我国で初めて学問的立場から、調査、分類、説明を試みた井上円了博士のそれを受け継ぐものということが出来ます。
  井上博士(1858-1919)は、現在の東洋大学の創立者で哲学の普及に努められた方ですが、1891年「妖怪学」という大部の著書を著しました。それは、それまでに博士が直接に集めた、また我国に伝わる数多くの怪奇現象を分類し、科学的説明を試みたものであります。その中には錯視、幻覚などの心理的現象、ブロッケンの光、カマイタチなどの物理的現象など、今日伝統的科学の中で説明されているものに加え、占い、人相、狐つきなど通俗的なもの、更には、催眠、心霊現象など異常な心理現象についても多く述べられております。博士の立場は、我々が怪奇に思う現象は、我々が主観的に怪奇に思う"仮怪"と、本当に自然科学的な立場から不思議だとされるべき"真怪"の区別が必要であることを説き、その目指すところは"仮怪を払い真怪を開く"こと即ち、迷信の打破でありました。博士は当時、自然現象に対し、科学的見方が未だ一般的でなかった時代、科学的態度の必要性を啓蒙されたのであります。
  小熊先生は「心霊現象の科学」の中で、西欧で19世紀半ばから抬頭して来た心霊研究の扱っている対象に、研究の対象を向け、これを"偽心霊現象"と"真実の心霊現象"とに分け、前者は見る人の錯誤・迷信的態度により科学的説明を超えると考えられているもの、後者は客観的に観察されたもので現在の科学ではまだ説明し得ぬものという区別をはっきり立てられました。前者には、狐狗狸さん、自動書記などの自動現象、憑依現象、幽霊などの幻覚現象を、後者には精神感応、霊媒の起す交霊現象、物理的現象、心霊写真、騒ぐ霊などを含めております。この様に雑多というべき怪奇現象を、現象の性質を明らかにして、それを分類されたことは研究上に大きな利便を与えたものということが出来ます。そして、先生は、超常的現象の研究に当たっては、公平な態度をもって臨み、科学的な方法を用いてアプローチすることを強調されました。
  先生は、心霊現象の研究及び啓蒙活動を他の科学者とも力を合わせ行いました。先生が協力された方には心理学者中村古峡氏(1881-1952)や精神病理学者森田正馬博士(1874-1938)などが居ります。
  中村氏は、大正5年(1916)日本変態心理学会を設立し、雑誌「変態心理」を発行、大正10年まで継続しました。氏は変態心理学の知識の普及に努め迷信邪教を打破し、精神神経症の予防に貢献しましたが、同時に心霊現象に対して異常心理学の立場から多くの発言を行っております。氏は、精神感応現象(テレパシ)は実験的に証明されている、千里眼も。ほとんど可能性を示す成績を収めている。しかし交霊現象は一種の人格変換であり異常心理学の立場から証明できるとしております。小熊先生は、この雑誌「変態心理学」に度々寄稿し、心霊研究の紹介・批判を行っております。また、日本変態心理学会編纂による「変態心理学講義」の中に<心霊学講義>という一巻を書いておられます。
  森田博士は、慈恵医大の教授をされておりましたが、その森田療法・森田学説は海外でも有名であります。博士の方法は神経質の患者を"あるがままの自己訓練"することにあり、これにより自己治療能力が喚起されます。そして博士の考えは禅の考えに通ずるものがあるといわれております。はかせの著作には心霊現象に関するものがあり、例えば憑依現象について精神病理学的考察を行っており、また大正7年福来博士、中村古峡氏と共に霊媒の実演会に出席たことが述べられております。
  小熊先生はこういうことを私達に話されました。先生が日本女子大学校の学生を連れて或る霊能力者を訪れたところ、その人は、一人の学生の身の上について非常に詳細に話しそれが適中していた。余り見事であるので、森田博士に話し、次の機会に二人で訪れた。するとその能力者は緊張してしまい、口から出まかせを言って全然当たらなかった。ということです。
  大正時代から昭和にかけて心霊研究の領域の流れは、小熊先生などのアカデミックなグループに対し、民間に心霊主義的立場に基づく団体も誕生しました。それは浅野和三郎氏による「心霊科学研究会」でありました。氏は、英文学者でありましたが、宗教団体に入り鎮魂帰神などの技法を学び欧米の研究状況の知識を加え心霊主義の啓蒙を行いました。同研究会は大正12年(1923)に発足し、雑誌「心霊研究」を発刊しました。また、福来博士は東京大学を去り(大正8年)高野山宝城院で修業され、昭和3年には「大日本心霊研究所」を設立されております。
  以上述べた多くの人達は、夫々独自の立場から研究を進めておりましたが、霊媒の実演会などの折には同席することがあったわけです。戦後、「心霊科学研究会」は「日本心霊科学協会」として復活し、福来博士の流れは「福来心霊学研究所」の設立となり研究が進められております。
  第二次大戦後、心霊研究の領域ではあわただしい動きが見られました。一つは戦前からの運動の復活、第二は海外からの情報の流入、そして若者達による新しい研究への抬動でした。
  戦前からの運動の復活は、先に述べた、「日本心霊科学協会」の創立であります。同協会は昭和21年(1946)吉田正一氏を理事長に発足し、心霊主義の普及活動を開始しました。海外の研究事情の紹介は、先ず昭和23年(1948)リーダース・ダイジェスト日本語版にライン博士の著書The Reach of the Mind 1948、が「心の領域」と題して行われ、我々は超心理学、ESP、PKという言葉を知りました。この本は昭和25年(1950)瀬川愛子氏によって全訳出版されました。
  ライン博士と日本との関係は、先ず、ライン博士と福来博士の間の交信に始まります。また、福来博士の念写の研究の報告が、米国の心霊主義雑誌"Psychic
Observer"に載ったのもこの頃(1952)であります。私は、ライン博士の業績を知り、その方法を用い昭和24年(1949)から実験を始めました。そして28年(1953)実験結果をライン博士の許に送りました。翌年賀川豊彦先生がライン研究所を訪れられ、私の話が出、その直後私にライン博士からの手紙が届きました。この様にライン博士と我国の交流の道が開け、私はライン博士の立場に基づきその方法を用いて研究を続けました。
  そのとき、私は当時東京大学医学部精神科におられた萩野 磐博士のさそいを受け、研究会を作ることに致しました。その成立に当たっては日本心霊科学協会を訪れ適当な会員の紹介を受けました。この会は後に「超自然科学研究会」と名乗り活動を続けました。この会には、現在、超科学会、サイ学会で活躍している橋本 健氏、後から、現在の日本心霊科学協会理事長の吉田 寛氏が加わり、また、現在国際宗教・超心理学会を主宰し、宗教心理学研究所所長の本山 博氏も一時参加したことがあります。その後、私達(金沢、恩田、大谷)はこの会から離れ、新たな研究会を作りました。それは、その会が旧来の心霊主義的彩色を払拭し切れず、また宗教的興味や通俗的傾向をも含みもつようになったため、純粋な学術的研究の団体の必要を感じたからであります。この流れが、我々の日本超心理学会へと続くわけです。
  戦後におけるこの若者の動きに対し、小熊先生は暖かい励ましと指導を与えられたのであります。小熊先生は私共に豊富な御体験をもって正しい方向へと誘導して下さいました。私達が、真に科学的な研究団体をつくることになりますと、賛意を示され、引き続き御指導を下され、日本超心理学会が設立されるや会長となられたのであります。ここに、井上博士に発し小熊先生に受けつがれた科学的方法堅持の流れと、福来先生の実験的体当たりの精神と、ライン博士による具体的アプローチの方法を持った超心理学の研究団体が成立することになり、その先導を小熊先生に仰いだわけであります。
  日本超心理学会は発足以来、調査・実験・研究会・年次大会の実施等活発な研究活動を続け、会員数は着実に増加し、研究水準も逐次上昇し、また多くの海外の学会との協同研究に成果を上げて参りました。これは一重に小熊先生のご指導の賜と会員一同感謝しております。
  私達はまた、小熊先生に続く多くの先輩諸先生の御支援も受けております。私達の研究発表第1回大会は昭和42年(1967)年に開かれ、これは私達の活動が学術の世界で見つめられる重要な契機となりましたが、この大会には、もと日本心理学会会長高木貞二先生、東北大学名誉教授千葉胤成先生、九州大学教授秋重義治先生などの諸先生の御出席を得ました。また、京都大学教授佐藤幸治先生、「神秘の世界」で超心理学の紹介をされた宮城音弥先生なども暖かく私達を力づけてくださいました。誠に有難いことでございます。
  そして小熊先生は八十才のお年を超えても、月例研究会、毎年の大会にはいつも出席され私達を励ましてくださいました。また終わっての宴会では、お酒を飲まれないにも拘わらず、大変陽気に若い頃の歌などを披露して下さいました。
  先生のお姿を拝見し、そのお声を拝聴すると、私達は、そこに日本超心理学会の歴史を見る感じが致しました。先生の九十年の御生涯は丁度、日本の超心理学の黎明期から、今こそ発展への道に入ろうとするその長い歴史そのものであったわけです。私達は、日本における真の科学的な超心理学研究の中核として、今後益々努力し、先生の遺志をより大きく実現していきたいと思うものであります。

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『日本超心理学会東京月例研究会第200回記念会』

 本年2月、東京月例研究会は200回を数えることになった。そこでそれを記念し、大谷会長と金沢運営委員長に、日本超心理学会および月例研究会の歴史を語っていただいた。出席者も多く、超心理学がわが国でも次第に認められてきている昨今、これを機にますます充実した研究が行われることを願うものである。(笠原敏雄)

@日本超心理学会 前史 -第200回月例研究会を迎えて- 大谷宗司
 
   日本で戦後、いち早く心霊研究の世界で活動を始めたのは「日本心霊科学協会」である。この会は、戦前の浅野和三郎氏を主唱者とする民間団体「心霊科学研究会」の流れから生れたもので、1946年創立、霊媒による実験会の開催、雑誌『心霊研究』の発行など、心霊主義と研究の啓蒙を行った。
   私は、心霊研究を志し、1946年東京大学文学部心理学科に入学、学部在学中は視知覚の研究を行ったが、1949年大学院に入学後は、指導教官高木貞二先生の了解を得て、"知覚心理学"の名目で超感覚的知覚の研究を始めた。Dr.J.B.Rhineの"The Reach of the Mind"が米国で出版されたのが1947年、日本では1948年、リーダーズ・ダイジェスト日本語版で『心の領域』と題されて紹介された。私は自己製のESPカードで実験を試みた。Rhineの紹介は、『心霊研究』編集者、粕川章子氏により同誌1948年5、6、7月号でも行われた。私は粕川氏からRhineの書物やESPカードを譲り受け本格的研究に入った。
   私の超心理学研究開始を聞かれ、医学部の荻野磐氏が来られ、私は同氏のすすめで懇談会を開くことを計画した。同氏と当時心理学科学生渡辺達郎氏(現沼津市在住)と心霊科学協会を訪れ、理事長吉田正一氏より会員の推薦をうけた。第1回の会合を1950年5月、東大心理学研究室の一室で開いた。出席者は、荻野磐、駒宮安男(九州大学教授)、橋本健、渡辺達郎、大谷であった、毎月1回定期的に開催、会員も増加し1951年から吉田豊氏(日本心霊科学協会理事長)、1952年から恩田彰氏、1955年から金沢元基氏が参加するようになり、1952年頃本山博氏も出席した。小熊虎之助先生も度々出席されご指導を仰ぐようになった。1951年9月、橋本氏の提案で「超自然科学研究会」と命名された。私は1950年、"心霊的事実に関する世論の一断面"と題し調査結果を『心霊研究』誌上に発表した。
  "The Reach of the Mind"は瀬川愛子氏により全訳され、1950年7月に出版された。私は、心理学科の学生、郷里の千葉第一高等学校の生徒、荻野氏の紹介で精神分析学者古沢平作先生の関係する女子高校の生徒などを被験者にESP実験を行った。いずれもESPを立証するに足るものではなかったが、1953年、結果をまとめDr.Rhineに送った。翌年、牧師で社会運動家の賀川豊彦先生がデューク大学を訪れ、Dr.Rhineとの話の中で私のことが出て、Dr.Rhineより手紙が届き、私と博士との交流が始まった。賀川先生からはデューク研究所の様子を伺うことができた。1955年、千葉大学心理学研究室で行ったESPと皮膚電気抵抗との関係についての実験結果をDr.Rhineに送ったが、これはJ.of Parapsychologyに掲載された。この時Dr.Rhineより招聘を受けたが留学生試験に失敗した。
   1957年、化学者でキリスト教及び神道に造詣の深い佐藤定吉博士がRhine研究所を訪れた。博士は日本に超心理学の研究所を作る援助を米国から得られると語ってくれたが実現しなかった。1962年、本山博氏がRhine研究所を訪問したいと言い、同氏から要請を受けたので、私は同氏のため紹介状を書いた。1963年、Dr.D.J.Prattが来日、学士会館で、日本心霊科学協会の協力を得て講演会を開催した。
   この頃、私は新たに研究会を作ることを考えた。日本心霊科学協会は科学的研究より心霊主義の普及を重点とし、若者の研究会をその下部組織と考える態度があり、我々の会の内にも科学的方法に徹しない傾向のある者がいた。それまで、私は心霊主義者と科学者との共存を考えていたが、この領域はまず科学的基礎を確立することが最重要だと考え、既に150回以上の会合を重ねた超自然科学研究会を離れ、恩田・金沢両氏とともに新しい研究会「超心理学研究会」を作った。この決定については、私がRhine研究所に滞在(1963-64)し研究を進めている間、正しかったという確信を益々強くした。
   帰国後は、渡米前に行った日本の心理学者に対する超心理学に関する意見調査の結果を「日本心理学会」の大会に恩田氏と共同で発表した。そして、1964年11月、第1回の月例研究会を東洋大学の一室で開いた。1967年には第1回の研究発表の大会を開き、1968年第2回大会の折、「日本超心理学会」の設立が決議された。そして、月例研究会は本年2月第200回を迎えた。(第200回東京月例研究会で発表)

A東京月例研究会20年の歩みについて 金沢元基

 1963年発足した日本超心理学研究会は、その主要な研究活動として毎月1回東京で研究会を開くことになり、遂に、1986年2月をもって第200回に達した。その間出席者がわずか2名というときもあったが、1回も流回になることはなく今日まで続いてきたということは、会員が100名にも満たない小規模な学会としてはまことに異例のことといわねばなるまい。
   第1回は1964年11月恩田先生の御好意により東洋大学で開かれ以後数年間、1968年6月の第38回例会まで主としてここが毎月の会場となった。この年の11月、日本超心理学研究会は発展的に解消して日本超心理学会が発足し、初代会長に小熊虎之助先生が就任された。この4年間の主な研究発表は、例えば、催眠とESP(小熊、大谷、長谷川)、ESPと創造過程との関係(恩田)、ESPと皮膚抵抗との関係(大谷)、テレパシの伝達因子(金沢)、Call
PatternとESP Scoreとの関係(大谷)、Call intervalとESP Score(小出)、BBTとESPとの関係(長田)などがあり、科学としての超心理学を日本に樹立する意気込みに満ちた充実したものが多かった。1965年9月〜11月には、アルゼンチンと日本との間に遠距離ESP実験が行われるなど、国際的研究の交流も次第に盛んになっていった。このような研究活動のほかに、研修の意味もかねて、あるテーマを連続して取り上げ、発表、討論するという試みもしばしば行われた。
   例えば、第22回から第28回の7回にわたり、予知と時間の問題について、大谷、金沢、杉下、長谷川等があるときは問題点を提起し、またあるときは論文を紹介するなどして、この重要であるが困難な課題に真剣に取り組んだ。なつかしい思い出のひとつである。
   1968年7月の第39回以後は場所が市ヶ谷の偕行社と、日本体育大学の両者を主として、時に明治大学、防衛庁技研、東京都教育会館なども利用しながら、1976年9月の第109回例会まで続く。

 月例会のテーマのひとつとして海外の研究の紹介があるが、初期の月例会、とくに1966-73年において、ソ連や東欧の研究活動がかなり頻繁に紹介されたことは注目に値する。それはソ連がいわゆる雪どけの時代を迎えた1960年代で、レニングラード大学の生理学者L.L.Vasilievの研究が公表され、西欧諸国の知るところにともなった時代でもある。回を追ってみると、第12回Eyeless Visionについて(大谷)。Askin : 時間の諸問題(金沢)。第30回Ryzl : ESP Experiments With a Hypnotically Trained Subject. Askin : 時間の不可逆性につい(金沢)。第31回Askin : 時間の有限性と無限性(金沢)。Ryzl : ESP Experients with a Hypnotically Trained Subject.(清水)。第34回Ryzl and Ryzlova : A Case of High-Scoring ESP Performance in the Hypnotic State.(杉下)。第35回 第34回に同じ。第36回Ryzl and Pratt : A Further Confirmation of Stabilized ESP Performance in a Selected Subject.(清水)。第38回 第36回に同じ(杉下)。第44回ソ連における超心理学の現状(藤原)。第47回ソ連誌「青年の技術」より(飯岡)。第49回Ryzl
: Parapsychology in Commnist Countries in Europe(大谷)。第53回人体放射線について-ソ連誌より(金沢)などである。また、1972年6月の第77回例会では金沢がOstrander and Schroederの"Psychic Discoveries Behind the Iron Curtain"を紹介し、8月の第3回夏季研修会では松田氏が"ソビエトにおけるサイキックな謎とエネルギー"というテーマでこれを取り上げ討論が行われた。その後第87回ソ連におけるFinger-reading(飯岡)、第88回プーシキン:PK-事実が幻想か(金沢)の2回の紹介の後、月例会ではほとんど取り上げられなくなった。これは1970年代におけるソ連の研究環境の変化で情報が入りにくくなったためである。(第200回月例研究会で発表。未完)

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